EPISODE 9


後輩の指導

 後輩二人が、お客さんのワインディングをしていたので、俺はヘルプに入った。一番下の後輩がマスターの中継ぎで、その場を離れた。つかさず俺は、後輩が巻いていた左側頭部を巻きに入った。
すると、今まで目をつぶっていたお客さんが目を開け「お兄ちゃんが来てくれてよかったよ。」と、言ってきた。「いやね、彼氏の巻き方弱いんだよ。あれじゃ、巻いてんのか、巻いてねぇのかわからねぇよ。かかりは同じかもしれないけど、気持ちの問題として嫌だろう。でも、言いたくても言えなくてさあ」俺は謝るしかできなかった。確かに後輩はワインディングの壁に今ぶつかっている。しかし、それを乗り越えようと毎日遅くまで練習している。俺はそれを知っていたので「あいつも、がんばっていますから」とフォローしたかったが、お金をもらう以上、お客様にそんな甘えはゆるされないし、そんなことを言っても仕方がないと思ったので、俺は口をつぐんでいた。
 お客さんが帰り、注意されたことを後輩に言うべきか、言わざるべきか迷った。教えてやらなければ、同じ失敗を繰り返すだろう。しかし後輩は、雑草のような俺とは違い、ナイーブな心の持ち主だ。お客さんに文句を言われたなんて言ったら、落ち込んで、ますますワインディングの壁が大きくなることだろう。そう考えると言うに言えなかった。
 結局、仕事中には言えず、その夜、ワインディングの練習中に、俺に質問しに来たときに、お客さんが怒っていたことにはふれず「今日の細いパーマの人の場合は、こうしたらいいんじゃないか」とさらりと言ってやった。それが良いことだったのか、悪いことだったのかは、俺にはよく分からなかった。すぐ下の後輩は、俺と同じようなタイプで、そういったアクシデントがあればあるほど、悔しさをバネにして燃え上がってくる。だから、何を言うにも気を使わなかった。一番下の後輩は、全く逆のタイプである。どうあつかっていいのか考えてしまう。
 俺も店では中堅の立場になり、上と下の立場で「気をつかう」ということが必要となってきた。スタッフが大勢いれば、それだけ色々なタイプの人間がいるということだ。それをひとつにして店を盛り上げていくということは、そう簡単なことではない。後輩一人満足に指導できないのに、将来スタッフを使っていきたいと吠えていた俺は、間抜けもいいとこだ。

平成2年10月15日 第179号


課外授業

 休みの日、偶然マスターと会い、夕飯に誘われた。まだ五時頃で、時間が早かったので、二人でパチンコに行って、暇をつぶすことになった。マスターに軍資金をいただき、早速開放台へとむかった。が、なかなかVゾーンへは入らず、軍資金は底をつき、財布のなかみも軽くなりだした。店の近所のパチンコ屋でもあったせいか、お客さんの顔もチラホラ見えていた。しかし、今の俺は玉が出ずイラつき、それどころではなかった。
 やっと玉が出始めた頃、マスターが、ポンと肩をたたき、コーヒーを持ってきてくれた。御礼を言おうと横を向くと、すぐ近くにいたお客さんにも「はいってますね。いっぷくつけてください」と言ってコーヒーを手渡している。マスターはそうやって、店内の知っているお客さんみんなに、コーヒーを差し出していた。マスターは、俺と同じく、今日はぜんぜん玉が出ていなかったはず。それなのに、玉を出すことに夢中になり、隣のお客さんに挨拶ひとつできない俺とは違い、みんなに笑顔で声をかけている。店の外でも接客を忘れず、お客さんを大切に扱っている。さすがだなぁ〜と思った。
 パチンコを終えて、奥さんたちと合流し、自分も一緒に、すし屋に連れて行ってもらった。その時、奥さんにこの話をしたら「マスターは若い時、家に風呂があるのに、たまに銭湯に行って、お客さんを見つけては、背中を流していたのよ。そうやって自分の顔をうっていたのよ」と、いろんな話を聞かせてくれた。マスターは照れくさそうに「そんな、大昔の話だよ」と言っていたが、俺はすごくいい話だと思った。そうやって、お客さんを大切にしてきたからこそ、今日の店があるのだろうし、マスターを慕ってやってくるお客さんも、たくさんいるのだろうと思う。
 俺ぐらいの年齢になると、店を卒業し、実家に帰る仲間も多くなりだした。だが俺は、まだまだいろんな方面で「羽田の親父」から学ぶことはたくさんありそうだ。

平成2年11月15日 第180号


結婚式の招待状

 ある日、一通の封書が俺宛に送られてきた。友人の結婚式の招待状だった。式の日取りが日曜だったので出席するのは諦め、早速断りの電話を入れた。友人には、事情を話し欠席させてもらうことにした。
 その後、また友人と会う機会があった。「幸市、やっぱり式に出てくれよ。スピーチしてほしいんだ」「俺じゃなくてもいいだろう」「いや、おまえに祝ってほしいんだよ・・・」こいつとは、ガキの頃からの親友で、出たいのはもちろんだが、俺は修行中の身、わがままは許されない。心の中で葛藤が続き、こいつの思いに、返してやる言葉がみつからなかった。
 「よし、俺がおまえのマスターの所に、頭下げに行くよ。いいだろう」こいつの熱い思いに俺は負けた。「わかった。だけどひとつだけ約束してくれ。俺は今、羽田の親父に育ててもらっている。親父が一言でもダメと言ったら、すぐに諦めてくれ」友人は、微笑みながらうなずいた。
 数日後、友人は店へやって来た。友人は頭を下げ、俺を一日かしてくれとと頼んだ。マスターは理容店の現状、店の内情を説明し、簡単にだしてやる訳にはいかないと話した。「理容店は、有給休暇もないし、日曜は特に忙しいんだよ。幸か不幸か、大沼は今一線で働いているし、こいつだけ休ましてやるわけにはいかないんだよ。他のスタッフにも負担がかかるし・・・」マスターの言うことも充分分かっていたので、とても辛かったが、ここまで俺の為に足を運んでくれた友情に、俺はこたえてやりたかった。「自分が、頭下げてお願いしてもダメて゜しょうか・・・」それまで黙っていた俺は、はじめて口を開いた。「とりあえず、今日のところは返事はできない。スタッフとも相談して、いい返事ができるよう努力してみるから、少し時間をくれ」
 いい結果は得られなかった。「孝司・・・すまねぇな」「いいよ。幸市が選んだ道た。仕事、がんばれよ!」こいつに何もしてやれない俺は、自分に腹が立ち、涙が浮かんできた。
 その夜、ミーティングがあり、今朝の事をマスターが話した。「大沼は、三年半、休まず、成人式にも出ずにがんばったという歴史がある、俺は結婚式に出してやろうと思うが、みんなはどうだ・・・」スタッフみんな賛成してくれた。「大沼、友達にきついことを言ったが、よろしく言ってくれ、みんなに感謝しろよ!」すごく嬉しかった。「こういう問題は難しいとこなんだが、悪い伝統は、どんどん改善していかなくちゃな。大沼が店主になったら、うまくやってくれよ」俺は嬉しくて舞い上がり、マスターの話も上の空で、早速電話ボックスへ走っていった。

平成2年12月15日 第181号